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平成の世にサムライを探して 

【平成の世にサムライを探して】第134回 小杉造園株式会社 代表取締役 小杉左岐「日本庭園を「輸出」し日本文化を世界に広める」」

アゼルバイジャン、バーレーン、キューバといった海外諸国で日本庭園造りを手がけているのが、東京・世田谷区の小杉造園だ。日本の文化と風土に深く結びついた庭園を海外に「輸出」し、異国の人々の共感を得る方法とは──。海外展開を自ら率いる小杉造園3代目の小杉左岐氏に話を聞いた。

「技能五輪国際大会」で金メダルを獲得

小杉左岐(こすぎ・さき)プロフィール

1946年、江戸時代から農業を営んでいた小杉家に生まれる。
70年、3代目として家業を継ぐ。
2003年、造園職人の技能を伝えていくために、熱海研修所を開設。
07年、第39回技能五輪国際大会・造園部門で金メダルを獲得。
09年、アゼルバイジャン政府の要請で都市公園の中に日本庭園を造る。
同年黄綬褒章受章。

※黒字= 小杉左岐氏

── 小杉造園が造園業を始めたのはいつ頃だったのですか。

明治の終わりか大正の初めだったと聞いています。初代は農業をやりながら庭師をしていました。2代目の私の父は典型的な職人肌で、何事も自分でやらないと気が済まない人でした。4、5人の職人と自分。それでこなせる量の仕事だけを引き受けて、後は断ってしまうので、子ども心に「もったいないな」と思ったものです。

── 今、社員は何人いるのですか。

80人ほどで、うち約半分が職人です。それ以外にパートナーの会社が60社くらいあって、協力しながら仕事をしています。社内外の職人が力を合わせてともに生きていくことが大事だと思っています。

小杉左岐氏
小杉左岐氏

── 残念ながら、国内の造園市場は縮小傾向にあるようですね。

昔、うちの周りには100坪単位のお宅がたくさんありました。政財界の方のお宅なら300坪が普通です。そういうお宅には必ず広い庭がありましたから、おのずと植木屋が必要とされました。しかし、大きな邸宅は相続税がかかります。敷地はどんどん小さくなり、広い庭も少なくなってしまいました。当然、造園業も衰退していかざるを得ません。

── そこで、海外に目を向けたわけですね。

ええ。最初に海外で日本庭園を手がけたのは台湾でした。これは、うちに修業に来ていた留学生との縁で実現したものです。次が、アゼルバイジャンの公園内に造った庭園です。以後、韓国、バーレーン、キューバなどで庭造りを手がけてきました。

── アゼルバイジャンで庭園を造ったきっかけは何だったのですか。

「技能五輪国際大会」で金メダルを取ったことです。それによってヨーロッパでうちの知名度が上がりまして、お声がけいただいたわけです。

── 技能五輪とはどのようなものなのでしょうか。

60年以上前にスペインで始まった競技大会で、自動車・電子機器組み立てから、理容/美容、左官まで、様々な職種の技能を競うものです。造園の場合は、49㎡の庭を1日5時間半で4日間、計22時間で仕上げます。図面が渡されるのは競技初日で、その図面を基に庭を造らなければなりません。しかし、寸法がいくら正確でも、庭としての美しさがなければ競技に勝つことはできません。高い技術力と美意識。その両方が求められます。

── この大会に出場することで、社員の皆さんの腕が磨かれるわけですね。

その通りです。昔の職人の仕事はお客様との直接の商売で、いわゆる旦那と職人との関係で地位も安定していました。しかし、徐々に大手建設会社の下請け、孫請けの仕事が増え、それに伴って職人の地位も下がっていきました。
職人の社会的地位をもっと向上させて、収入を上げていきたい。そう私は願っています。そのためには、技術を磨いて、お客様に喜んでいただき、評価していただかなければなりません。技能五輪に出場し、メダル獲得を本気でめざすことで、職人たちの技術はおのずと上達するだろう、そう考えました。

それぞれの国の文化を日本の文化と融合させる

こちらはアゼルバイジャンに造った庭園。現地では「ヤポンパーク」と呼ばれて愛されている。結婚式後の記念撮影場所としても人気だという
こちらはアゼルバイジャンに造った庭園。現地では「ヤポンパーク」と呼ばれて愛されている。結婚式後の記念撮影場所としても人気だという

── 日本庭園の美しさは、海外でも理解されるものなのでしょうか。

そのままでは理解されない場合が多いと思いますね。例えば、「わびさび」は日本固有の美学ですが、それを押しつけても外国人には受け入れてもらえません。それぞれの国にはそれぞれの国の文化がありますから、それを上手に取り入れて、日本の文化と融合させることが大切です。例えば、アゼルバイジャンの庭園では、芝で月と星を表し、アゼルバイジャンの国旗のマークを日本庭園に融合させました。このような工夫をすれば、現地の人たちに共感してもらえます。
庭園に植える木を選ぶ際も、その国に手入れの文化がないのであれば、できるだけ手入れの要らない樹種で、しかも現地で調達できるものを選ぶようにしています。また、日本から連れていくスタッフの数を抑えて、現地の人に造園の技術を教えています。
こうやって、その国に溶け込むことによって、地元の人たちに本当に愛される庭園を造ることができると考えています。

── 一方で、絶対に譲れない点はありますか。

鳥居を建てることですね。日本のシンボルである鳥居を必ず入れて、日本の庭園であることを示すようにしています。

── ご自身は、これまで海外で生活した経験はあるのでしょうか。

生活したことはありませんが、若い頃から旅が好きで、よく海外に行っていました。昭和40年代にアメリカを旅行した時、あちこちにマンションが建っているのを見て、10年後はきっと日本もマンションブームになると直感しました。そこで、マンションの中庭や植え込みなどの仕事も徐々に手がけるようにしました。当時の庭師の多くは、「マンションの植え込みなど庭ではない」と言っていたものです。垣根も筧(かけい)も灯籠もありませんからね。でも私は、外国を自分の目で見たことで、新しい方向に踏み出せたわけです。

小杉氏が手がけたバーレーンの日本庭園。約4000㎡の広さがある。奥に鳥居があるのが見える。暑いので日陰となる回廊を廻す
小杉氏が手がけたバーレーンの日本庭園。約4000㎡の広さがある。奥に鳥居があるのが見える。暑いので日陰となる回廊を廻す

── 海外における日本の存在感は、以前と比べてかなり弱まっているといわれます。日本人や日本企業は海外に対してどのようなアプローチで臨めばよいのでしょうか。

高度経済成長時代の日本人は、海外に対してとても積極的でした。今の中国や韓国の人たちは、あの頃の日本人のような積極性があると思います。その点では、確かに現在の日本人は諸外国の人たちに負けているように感じます。
しかし、発展途上国の人たちにとって、日本は依然として憧れの国です。日本の製品は最高の評価を得ています。途上国で、テレビモニターや町を走っている車も外国製が多いのは、価格が安いからです。日本の製品は良品なので高く、海外の庶民にはなかなか手が出ないのです。性能の優れた商品が高いのは当然ですが、性能を抑えて価格設定を低くした製品も提供すべきだと私は思います。そうすれば、憧れの日本製品を使ってくれる人がもっともっと増えるのではないでしょうか。

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