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【ターニングポイント】第1回 「亡き父の『遺言』を守って20歳で開催した『ただ一度の個展』」 書家 金澤翔子

「あの経験があったから大きく成長できた」「あの時選んだ道が今につながっている」――。誰にも特別なターニングポイントがあります。インタビューにご登場いただいた方々に、人生におけるサイドストーリーをお聞きしました。

書家・金澤翔子氏の最初の個展「翔子 その書の世界」が銀座書廊で開かれたのは2005年、翔子氏が20歳の時だった。

「翔子が14歳の時、主人が心臓麻痺で亡くなりました。突然のことで遺言もなかったのですが、生前、『翔子が20歳になったら個展をやろう』と言っていたものですから、それを遺言と思うことにしました。その言葉を守るために、生涯一度だけの個展を開いてあげようと考えたんです」

翔子氏の母であり、自身も書家でもある泰子さんはそう振り返る。
「翔子は恐らく結婚はできないだろうから、結婚式の代わりにと思って、祝賀会も派手に開催しました。何しろ、最初で最後だと思っていましたから。そうしたら、その個展が思いがけずメディアに取り上げられて、その時から翔子は“書家”ということになってしまいました」

一人の人間としての幸せを大切にして生きてほしい

写真は、その時に出展した作品を前に母娘で撮ったものだ。突然世間の注目の的となって、戸惑いを隠せない翔子氏の表情が初々しい。

「18歳で学校を卒業してから就職もできず、翔子はどこにも行くところがありませんでした。でも、あの個展をきっかけに多くの皆さんの前で揮毫をしたり、あちこちで個展を開く機会をいただいたりして、翔子の人生は本当にがらりと変わりました」

「デビュー」から12年。1回限りのはずだった個展は、すでに300回近く開催されている。今や翔子氏は、海外でも認められる一流の書家となった。しかし、昔からの純粋な心は全く失っていないと泰子氏は言う。

「私たちは、生きている間にいろいろと余計なものを背負ってしまいます。でも翔子の中には欲望も、人と争う心もありません。本当に無心のままで書に向かっているんです。その純粋な心が作品を見る人にも伝わって、こんなに評価していただいているのだと思います」

翔子氏が生まれてからの33年間、ずっと二人三脚で生きてきた。自分の年齢を考えると、これからどれくらいの間二人三脚を続けられるか分からない。そう泰子氏は言う。しかし、悲壮感はない。

「翔子は、多くの書家がどれだけ頑張ってもたどり着けないような場所に来てしまいました。もう十分だと思うこともあります。これからは一人の人間としての幸せを大切に生きていってほしい。そう願っています」

金澤翔子氏と母・泰子氏の画像
金澤翔子氏と母・泰子氏
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